アスベストユニオンとは
ある労働関係雑誌から依頼があり、アスベストユニオンについて紹介させてもらうことになった。ところが、ホンダを批判した原稿を渡したところ、読者に本田技研労組がいるので名前を伏せてもらえないかと言われた。私があくまでも実名にこだわったため、掲載は見送られることになった。
ホンダは、損害賠償裁判も実名で報道されているし、県労委命令にも従わないような会社だ。批判されて当然である。そもそも会社が有力スポンサーならともかく、労働組合に気を遣って掲載を見合わせるとは、なんとも理解しがたい。いずれにせよ、わかりやすい解説が書けたと思うので、本誌に載せてもらうことにする。【川本】
長年の闘争の蓄積と、実際の相談対応の中で結成
2005年のいわゆる「クボタ・ショック」を契機に、アスベスト問題は社会的に大きく注目されるようになった。実は、神奈川の全造船は医療機関などと連携して、すでに80年初めから、造船労働者のアスベストじん肺や肺がんに注目して、退職者健診に取り組み、労災認定を勝ち取っていた。1988年には住友重機の追浜浦賀分会を中心に、企業責任を問う裁判を提訴し、97年に裁判は勝利和解を勝ち取った。この和解が契機となり、住友重機を皮切りに造船大手各社は、退職者にも適用する企業内上積み補償制度を作るようになった。
一方、80年代初めに神奈川の全造船は、一人でも誰でも入れる労働組合、神奈川地域分会を結成。1991年には神奈川シティユニオンが結成され、現在は、よこはまシティユニオン、ユニオンヨコスカ、湘南ユニオンが連携して活動している。
前置きが長くなったが、クボタショック以降、上記ユニオンに、アスベスト被害者やご遺族から、労災認定に加え、企業責任を問いたいという相談が寄せられるようになった。造船に限らずあらゆる職種の、しかも全国各地から。そこで、被害を受けた労働者らを組織し、その団結によって問題を解決しようと考えた。
ただ、アスベスト被害は何十年もの長い潜伏期間があるため、被害者のほとんどは退職者で、ご遺族から相談されることも少なくない。労働組合法上、何十年も前に会社を辞めた退職者の団体交渉権があるかないか、そもそも遺族は労働者ですらない等、労働委員会や訴訟で争われることになった。私達は、職場でばく露した有害物質が原因で病気になるアスベスト労災問題に労働組合が取組むのは当然のこと、と極めて自然に労働組合結成に至った。
団交にも応じないホンダ
ほとんどの会社は、ユニオンとの団体交渉に応じる。たとえ拒否しても、労働委員会で和解に応じる会社も少なくない。ユニオンは被災者救済を最優先に考えて柔軟に対応するが、補償だけが課題ではない。被害実態や補償状況の情報開示、退職者への健康診断の呼びかけは、要求と解決の必須項目である。
ところが、かたくなに責任を認めず、交渉にすら応じない企業もある。本田技研工業(ホンダ)だ。ホンダは、団体交渉に応じることなく、民事損害賠償裁判でも「自動車のアスベストは無害だ」「中皮腫はタバコが原因の可能性もある」などと、世界の常識とかけ離れた主張を繰り返している。損害賠償については、今年3月に東京高裁で、ホンダが、療養中の組合員に2500万円を支払う内容で和解した。団体交渉拒否については、神奈川県労働委員会の不当労働行為救済命令にも従わない。情報開示も健診の呼びかけも全くしようとしない。中央労働委員会の命令を待つばかりだ。
誠意あるN社の対応
ホンダとは対照的な、誠意ある会社も紹介しよう。Kさんは、N社で働き、アスベストにばく露して中皮腫で死亡。ご遺族が相談を寄せられ、団体交渉を要求した。N社は、当時のアスベスト使用状況や被害実態を開示し、退職者への健診を呼びかけた。実は、分社後の労災上積み補償制度の水準があまり高くなかったので、その改正まで約束。ご遺族も納得できる金額で解決した。
団体交渉に出席した息子さんは涙ながらに会社に感謝の言葉を述べた。「合理化で退職を余儀なくされても、親父はN社の悪口を言ったことはありません。私も小学生でしたが、会社の行事で工場に行った楽しい思い出しかありません。今回、誠意をもって対応して下さって本当にありがとうございます。親父もきっと喜んでくれると思います」と。
被害を最小化するために
アスベストの使用は禁止されたが、被害は続いている。建築物などに使われたアスベストを適切に解体して処理する必要があるが、「お金がかかる」などの理由で、労働者や住民にまで健康被害を及ぼすずさんな工事が横行している。そうした問題に取り組む市民団体や被災者団体などとも協力しながら、労働組合は、きちんと企業責任を問うことが求められている。
組合員は各地に分散しており、運動の発展のためにも毎年大会をいろいろな地域で開いている。同時に、無料相談会や電話相談も実施している。今年は岐阜県羽島市で大会を開き、相談会を開催した。羽島にはニチアスの工場があり、その被害者とも交流した。発電所等で働きアスベストにばく露し、アスベストじん肺になった、ニチアス関連の下請け労働者からの相談が寄せられた。
今後も微力ながら出来る限りの活動を繰り広げていきたいと考えている。