「はりきゅう時効裁判」不当判決を受けて

「はりきゅう時効裁判」不当判決を受けて
労働者の感覚と乖離した裁判官の認識を正そう

■三七五通達の弊害と、その撤回まで 

 本誌読者の皆さんの多くも、おそらく「はりきゅう時効裁判」と聞いて、ピンとこないであろう。事の発端は二〇年前にさかのぼる。一九八三年三月、多くの労働者の反対を押し切って、労働省(当時)は、労災はりきゅう治療を一律一年に制限する三七五通達を施行した。はりきゅうの費用の扱いについて、期間や料金が全国各地でばらつきがあるため、統一した基準を作るというのがタテマエ。はりきゅう士団体には、明確な保険適用によって、さらに患者が増えるかのような幻想を抱かせる説明をしたと言う。実際は、多くのケイワン、腰痛の職業病患者が打ち切られ、一年以上の治療は全額自己負担を強いられるため、患者は減った。

 三七五通達に反対する運動は、東京、神奈川、大阪などで裁判となった。一九九四年に大阪高裁が、三七五通達は労災保険法の趣旨に反する違法なものとする画期的な判決を下し、確定。ついに労働省(当時)は通達の見直し作業に入った。

 通常はこれでめでたしめでたしなのかもしれないが、我々はどうしても労働省を許せなかった。三七五通達のおかげでどれだけの被災労働者が苦しめられてきたのか。はりきゅう治療を懐具合と相談しながら受けなければならなかった人、まだ治っていないのに、はりきゅう治療を続けたいがために、一年後の打ち切り覚悟で「はりきゅう単独」を選択した人、やはり障害等級をもらって「はりきゅう特別援護措置」を受けた人、多くの労働者の苦渋の選択が思い出される。中には、障害補償請求して等級をもらうと雇用関係が危ぶまれるからと、結果として「特別援護措置」も受けなかった人もいる。これらの実態を直視せず、新しい医学的知見に基づいて、通達に改正するという立場を崩さない労働省に対し、よりよい通達改正をさせよう、過去の責任も取らせようと、新しい闘いを挑むことになった。 

■はりきゅう代金の過去分請求運動

 三七五通達の下で一年以上はりきゅう治療した労働者は、二年目以降は代金を自己負担してきた。それらの労働者に、労働省に対して費用請求をしようと呼びかけた。もちろん以前の記録などを保管している労働者はまずいない。医療機関の協力を得て、カルテを調べ、請求可能な労働者をピックアップする。本人の了承を得て治療回数や年月日、当時の代金を集計する。これらの作業は、神奈川県勤労者医療生活協同組合港町診療所、同十条通り医院のスタッフの絶大なる協力が不可欠だった。結果として、二二名の労働者が過去分請求を行った。一九九五年三月のことである。

 労働省は、まさかこんな請求をされるとは考えていなかったであろう。労災保険法四二条には、療養補償の請求権は時効によって二年で消滅するとされている。一九九六年二月、ついにはりきゅう治療の期間制限を撤廃する新しい七九号通達が出された。一三年にわたる闘いは労働者の勝利に「終わった」のである。しかし過去の責任をどう取るのか。何度も交渉を繰り返したが、結局、一九九六年七月、労働省は時効を適用して、請求時点から二年以上前の療養費用については不支給の決定を下した。

 審査請求したが審査官も棄却。おそらく審査会も期待出来ない。裁判しかないと考えた我々は、三七五通達撤廃の裁判を闘ってきた弁護士らに相談を始めた。なるべく争点をわかりやすいものにしようと原告も絞り込んだ。つまり、三七五通達下で当初の一年支給を受け、その後自費で治療を継続、さらに新通達下で労災の支給を受けてきた人がいる。つまり「中抜け」であり、はりきゅうの治療の有効性や個別の症状などを争う余地がないであろう。中には、「中抜け」期間はわずか数日、一回分のはりきゅう代金のみ支払われなかった人も。一九九九年九月、港湾日雇い労働者六人、自動車労働者一人、計七人が横浜地方裁判所に、不支給処分取り消し行政訴訟を提起した。

■横浜地裁で勝利判決勝ち取る

 法廷では予想通り法律論のみの争いとなった。にもかかわらず、毎回傍聴席には、港湾被災者の会の皆さん、三七五通達撤廃裁判を闘ってきた自治労七沢リハ労組の仲間らが駆けつけた。二〇〇〇年一二月、横浜地裁は不支給処分取り消し、原告勝訴の判決を下す。争点は以下の二点である。

 1、療養費用請求権の消滅時効の起算点はいつか。
 2、被告が原告に対し、療養費用請求権の時効消滅を主張することは、信義則違反あるいは禁反言法理にあたるか。

 1について、労災保険法には起算点の規定がないため、民法一六六条一項の適用があるとされる。同項の「権利ヲ行使スルコトヲ得ル時」とは、単にその権利行使につき法律上の障害がないというだけでなく、更に権利の性質上、その権利行使が現実に期待できるものであることをも要するとの最高裁判決がある。原告側は、三七五通達の下では権利行使が現実に期待できるものではなかったと強く主張したが、裁判所は認めなかった。従って時効ははりきゅう代金を支払った日毎に進行するとした。

 2について。禁反言という耳慣れない法律用語がわかりにくいが、簡単に言えば、かつては一年以上は支給しないよ、請求権がないよと言っていたくせに、後になって、あの時請求していないから、もう時効だと主張するのは、「ずるい」から許されないということだ。そして裁判所は原告の主張を認めた。結論部分を引用しよう。「労働行政機関たる被告が一年間を超えてはり・きゅう治療による施術を要した被災労働者の一人である原告の権利行使に予め否定的な公式見解を披瀝し、原告に対し、審査請求前置主義との関係から権利行使を萎縮させ、かつ、同見解が正しいものあるいはやむを得ないと信頼させた以上、原告が労災保険法上の権利を以前に行使していなかった点を落ち度と指摘して原告の被告に対する本件療養費用請求権の時効消滅を主張することは、過去の言動に矛盾する言動であるというべきであるから、原告の信頼保護に反し、信義則上許されないと解するのが相当である」。

■東京高裁の不当判決を許さない
 
 東京高裁では、新たな主張は双方ともほとんど行わなかった。ところが、二〇〇一年一一月二九日の判決は地裁判決と全く正反対のものだった。上記1の争点については地裁と同様の判断をした。上記2の争点について、高裁判決は言う。そもそも通達を周知徹底するのは当然のことであり、もしもそれが違法、不当だと考えるのであれば、行政訴訟を提起すれば良かったのだ、と。新たな事実関係や法理論が採用されたのではない。地裁の裁判官との違いは、一労働者・市民にとって、労災の請求手続きや裁判を起こすことがどれほど大変なことかについての認識の違いにある。

 例えば地裁判決では、原告が請求したとしても、監督署は不支給決定をし、審査官も審査会も「三七五通達等の内容を理由として」棄却しただろう(実際にそうだった)。すると訴訟を起こすには、「著しく無駄な手続きを数多く踏まなければならないことは明らかである」。実は、地裁判決の裁判長は、あの電通過労自殺裁判の地裁判決を書いた人だ。おそらく数多くの労災事件を通じ、一労働者にとって、労災請求すること自体、ましてや訴訟に至ること自体がいかに困難であるか十分認識しているのだろう。一方、高裁判決は、原告の請求断念という事実について、「行政訴訟を提起して(中略)処分の取り消しを求めるべきもの」、「現行の法制度の下において、被災労働者がとるべくして予定されている措置」、「時効中断のためには、審査請求、再審査請求、不支給処分取消請求などの措置を取ることが求められていたものと解され、被控訴人がそのような措置をとることに格別の支障があったものと認めることはできない」などと、何度も当然のことをしなかったのだと決め付けた。

 根本的には裁判所が労災保険制度やその手続きについて実態を知らないことが問題である。実は、両判決共に、通達と審査官、審査会との関係について間違っている。地裁判決は、審査官と審査会は通達に拘束されるとし、高裁判決は拘束されないとしているのだ。審査官は通達に拘束され、審査会は拘束されないというのが正しい。ちなみに、じん肺の民事損害賠償の時効の起算点をめぐっても、いまだ決着がついていない状況だが、それもじん肺管理区分制度やその運用実態を理解していないことに起因する面もある。おそらく高裁の裁判官は、多くの労働者が労働基準監督署の窓口に行くこと自体に躊躇し、手続きの繁雑さに泣き寝入りを強いられていること、労災職業病事件を受任する弁護士は極めて限られており、経済的事情も重なり訴訟をあきらめる人も少なくないことを知らない(今だから言うが、複雑な経過を持つ本件も例外ではなく、代理人の説得や受任に半年余を要した。代理人個人を批判する趣旨ではないことは言うまでもない)。

 国が間違っていると思うのなら、すぐに裁判で争えという高裁判決の感覚は、到底受け入れがたい。労働者のおかれている実態を全く無視した奢り、暴論である。次の舞台は最高裁である。逆転勝訴を目指した団体署名活動などを展開する。多くのみなさんの注目、支援を訴えたい。