アスベスト疾患を学ぶ講演会:熊谷信二さん(元・産業医科大学産業保健学部教授)

■東京都大田区のアスベスト試行調査=石綿専門検診を受けましょう

6月8日、大田区でアスベスト疾患を学ぶ講演会が開催された。12年前、、石綿工場周辺住民から中皮腫などが発見されたことを東京労災病院が大田区保健所に報告。大田区は、住民説明会、健康調査などを実施し報告書をまとめ、その後も毎年、フォローアップ検診を実施。石綿救済法の環境ばく露による認定者も、最長居住歴が大田区の人が41名で東京都内でトップ。2番目の足立区が22名、横浜市全体で66名であることを考えると非常に多い。改めて石綿工場周辺住民の健康被害をテーマに、いわゆる「クボタショック」を明るみにした関係者の一人である熊谷信二さん(産業医科大学産業保健学部前教授)をお招きして講演会が企画された。印象的な部分を簡単に紹介したい。【川本】

■有害性がわかっていたのに使用されてきた=被害が拡大した

そもそもアスベストの発がん性は、ずいぶん前からわかっていた。症例報告は1930年代からあり、1955年には英国の疫学者のドールが、石綿紡織工場の労働者の調査を発表。なんと一般人と比較して13・7倍の死亡者が確認されている。中皮腫についても、1960年に南アフリカ共和国の病理医であるワグナーが、胸膜中皮腫33人について検討したところ、32人が青石綿鉱山の労働者や家族、周辺住民であることを報告。そして日本でもすでに1970年代はじめに大阪・泉南の石綿被害が問題となり、国会でもとりあげられていたのだ。にもかかわらず、日本の石綿使用量は70年から90年代半ばまで年間20~30万トンを推移していた。ようやく2004年に原則禁止が決まり、その翌年の2005年に尼崎で周辺住民の被害が明るみになったのである。

■たった3人の患者でクボタが原因とは・・・=専門家の限界

2005年1月、当時大阪府立公衆衛生研究所に勤めていた熊谷さんと、奈良県立医大の車谷さんは、尼崎のクボタの旧石綿管工場の周辺で、中皮腫患者3人について、工場が現認ではないかという相談を受ける。当時の2人の見解は、「たしかに中皮腫は珍しい病気だが、たった3人で多いとは言い切れない、新しいことがわかれば連絡してください」というものだった。

しかし、患者と家族の会は調査を継続して、さらに患者と出会うことになる。そして4月からはクボタと直接交渉を開始、6月末にはクボタが見舞金の支払いを発表。あわせて労災認定が多数にのぼることも公表に踏み切った。いわゆる「クボタショック」である。被害者からの問い合わせが、患者と家族の会や安全センターなどに殺到することになる(実際このあと1ヶ月以上の間、東京と大阪のセンターの電話は、事実上鳴りっぱなしであった。)

もしも「3人では多いとは言い切れない」で終わっていたら、被害は闇の中に埋もれたままで終わっていたかもしれない。熊谷さんらは、専門家としてできることをただちに開始。7月から疫学調査を始めて、8月末には中間発表を行った。クボタの工場の半径500メートル以内の中皮腫死亡率は9・5倍に上ることがわかった。その後も引き続き疫学調査を実施している。2016年12月時点での、クボタの石綿被害者は周辺住民317人、従業員206人(他工場も含むがほとんどが尼崎)に上る。現在も周辺住民に毎年15人前後の中皮腫患者が発生している。

イタリアのエタニット社カザーレ工場のように、被害者が二〇〇〇人を超えるような事例もあるが、他の石綿工場ではなかなか実態が判明していないのも実情である。これは専門家の限界でもあるし、やはり被災者団体の取り組みは非常に重要になる。