住友ゴム工業アスベスト損害賠償訴訟 原告全員が勝訴!賠償額も増額!
新聞等でも報道されている通り、住友ゴム工業㈱に対するアスベスト損害賠償裁判は、全面勝利判決で解決を迎えた。賠償どころか交渉にすら応じない不誠実な住友ゴム工業との闘いは、実は長年にわたる現場労働者の闘いがあって初めて始まったものであり、また勝利に結実したものである。ひょうご労働安全衛生センターの解説、報告を紹介する。
住友ゴム工業株式会社(神戸市中央区)の旧神戸工場及び泉大津工場において、タイヤ製造等の業務に従事し、石綿及び石綿を含むタルク粉じんにばく露したことにより、中皮腫や肺がんなどを発症した被災者とその遺族が会社に補償を求めた訴訟の控訴審判決が、7月19日に大阪高等裁判所(江口とし子裁判長)で言い渡された。
判決は、生存者1名を含む被災者7名全員の被害を認め、住友ゴムに計1億円余りを支払うように命じた。一審の神戸地裁判決では、「(粉じんの)吸引量が多量とは推認できない」として被災者2名の請求が棄却されたが、今回は原告側の請求をほぼ認めた勝利判決である。
この判決を受け、原告らを支援してきたひょうごユニオンは、7月22日に住友ゴム本社に対して、早期解決を図るよう申し入れを行った。その後、住友ゴムの代理人から「上告しない。支払う」との連絡があり、大阪高裁の判決が確定した。
訴訟に至る経過
2006年10月、Aさん(悪性胸膜中皮腫で死亡)のご遺族と元従業員の1人(正木さんと白野さん)が、個人加盟の労働組合ひょうごユニオンに加入し、(1)アスベストの使用実態を明らかにすること、(2)退職労働者の健康診断を実施すること、(3)企業補償制度を設けること、以上の3点を要求し、住友ゴムに団体交渉を求めた。
ところが、会社は「従業員でない」ことを理由に団体交渉を拒否。そのため会社との団体交渉をめぐる争いは、兵庫県労働委員会から司法の場へと争いが続くこととなった。そして2011年11月10日に最高裁の判断が示され、退職労働者の団体交渉権が認められたのであった。住友ゴムを話し合いの席に着かせるだけで5年の歳月を要したのである。
補償について-年齢格差を許さない
2006年10月にひょうごユニオンが団体交渉を申し入れた直後、住友ゴムは一方的に、石綿に関する企業補償制度を新設した。この制度は、亡くなられた年齢により、5歳毎に補償額が減額されるという格差があり、組合として問題を指摘していた。
最高裁が退職労働者の団体交渉権を認めた事を受け、組合は2011年12月より住友ゴムとの団体交渉を開始した。要求内容は、(1)アスベスト被害者への謝罪、(2)団体交渉を拒否してきたことへの謝罪、(3)アスベストの使用実態を明らかにすること、(4)全退職者への健康診断の実施、(5)これまでの健康診断内容の開示、(6)石綿災害特別補償制度の見直し、(7)胸膜プラークに対する補償の7項目であった。
しかし交渉は平行線となったため、アスベスト被害者5人(中皮腫2名、肺がん3名)の遺族が損害賠償を求め、2012年12月13日に神戸地裁へ提訴。そして第2陣として2016年1月22日、石綿肺がんと石綿肺を発症された2名が提訴。2つの訴訟は併合され、被災者数7名、原告数23名の集団訴訟となった。
タルク粉じんのばく露を争う訴訟
住友ゴムでは、ゴム製品の様々な製造過程において、ゴム同士がくっつかないようにするための打ち粉(粘着防止剤)として、工業用のタルクが使用されていた。
タルクとは滑石ともよばれる白い石で、工業用には原石を粉砕して非常に細かい粉にして使用することが多く、ゴム製造、製紙、農薬・医療品製造、化粧品製造など多くの分野で利用されてきた。ベビーパウダーや「おしろい」は、まさにタルクそのものである。
タルクには不純物としてアスベストが含まれている物もあり、病院で手術用手袋にタルクをまぶす作業に従事していた看護師が、中皮腫を発症し労災認定される事例も続いている。
事実認定を誤った神戸地裁判決
2018年2月14日の神戸地裁判決は、タイヤ製造工程の一部で、タルクや粉じんが飛散する状況にあり、元従業員7名は石綿にばく露した可能性があると指摘。当時の医学的な知見の水準を踏まえ「60年までにはアスベストやタルクが生命に重大な障害をあたえる危険性を認識できた」「会社は粉じんの発生や飛散防止、安全教育や指導をしていなかった」と判断。
そのうえで、元従業員5名については「吸引した石綿は相当な量だった」などとして約5900万円の支払いを命じた。しかし、肺がんの2名については「吸引量が多量とは推認できない」として、請求を棄却した。
棄却された2名の被災者は、労災認定時に「1型の石綿肺あり」と判断され業務上と認定されているにも関わらず、裁判所はばく露量が少ないと判断したのであった。これは明らかな誤りである。
一方、会社側が「元社員のうち2人は損害賠償請求権が時効(10年)により消滅している」と主張していた点については、「時効制度の利用は権利の乱用で許されない」との判断を示し、原告の請求を認めた。被災者らが2006年11月に団体交渉を求めたが、会社が交渉を拒否したがために訴訟に至った経過を踏まえての判断であり、画期的な内容であった。
「高山で霧が流れているが如く」
原告・被告双方が控訴し、大阪高裁で争われることになった。原告側が力を入れたのは、一審で棄却された2名の被災者の石綿ばく露の立証であった。
一審段階で、兵庫県労働基準局安全衛生課が、昭和24年5月に作成した「ゴム工業に発生する職業特に塵肺について」と題する報告書を書証として提出していたが、神戸地裁判決には十分反映されなかった。そこで、熊谷信二(産業医科大学元教授)に報告書の内容を解析した意見書の作成を依頼し、提出した。
高裁判決では、熊谷意見書に全面的に依拠し、工場内は「微細な粒子が大気中に多量に飛散されていることが明らか」「激しいときあたかも高山で霧が流れているが如くである」とし、粉じん濃度の数値も当時の規制を大きく上回っていると認定した。
そして、一審で棄却された2名についても、「粉じんに曝露される程度は相当に強度なものといわざるを得ない」とし、「肺がん発症が神戸工場での勤務に起因することが高度の蓋然性をもって証明されたというべきである」と判断した。
また、判決が注目されていたのは、亡くなった2名の消滅時効についてであった。判決では、裁判が提起された時点で10年が経過していることを認めたうえで、会社が団体交渉を拒絶した対応は不適切であり、そのことが被災者らの適切な救済を受けることを困難にしたとして債権の存在を認めた。一審に続き、消滅時効についてこれまでにない新たな司法の判断が確定したのである。
被災者全員の救済に向けて
住友ゴムにおける最初の石綿労災認定者は2006年のAさんだった。Aさんの労災認定には住友ゴム退職者分会分会長の正木さんと原告の白野さんが関わり、Aさん以降18名が石綿関連疾患で労災認定されている。18名のうちの13名の労災認定者は、正木さんらがこつこつと退職者(ご遺族)の自宅を訪問し、被災者を見つけ出し、申請手続きをしてきた人たちである。
裁判においても、正木さんたちが在職中から地道に活動し積み重ねてきた資料が重要な役割を果たし、判決でも引用された。住友ゴムの労働組合潰しに対して、1960年代から仲間づくりを進め、過酷な労働条件を改善させてきた闘いが、今回の判決に結実したのである。
住友ゴム退職者分会のメンバーは、高裁判決を力に、企業補償制度の年齢格差を解消するため団体交渉を開始した。原告だけでなく、被災者全員の補償救済に向けた次の闘いが早速始まっている。