パワーハラスメント防止の指針素案に対する抗議声明
2019年10月29日
パワーハラスメント防止の指針素案に対する抗議声明
東京都江東区亀戸7-10-1Zビル5階
全国労働安全衛生センター連絡会議
議長 平野 敏夫
私たち全国労働安全衛生センター連絡会議は、職場のパワーハラスメント(パワハラ)の問題について、労働者の立場に立ち長年にわたり相談や支援にあたってきた団体や個人の全国ネットワークです。今年9月にも、全国一斉の「職場のいじめパワハラほっとライン」を実施し、職場の様々なハラスメント問題の相談にあたっています(添付資料参照)。
10月21日、厚生労働省労働政策審議会雇用環境・均等分科会において厚生労働省事務局より示された指針案(労政審資料1-1)は、労働現場におけるパワハラ防止対策を著しく後退させ、パワハラ被害に苦しむ多くの労働者を切り捨てる要素が数多く含まれており、到底看過できるものではありません。
目次
私たちは、今回の指針素案に対して強く抗議し、指針素案の即時撤回と抜本的再検討を求めます。
以下、私たちが特に問題であると考え、削除を強く求める点について述べます。1、この指針素案は、労働安全衛生に関わる既存の指針の原則から大きく逸脱している。
この指針素案では、パワーハラスメントの定義を、裁判例を参考にして企業が民事損害賠償義務を負う場合に限定しようとしています。そのことは、「パワハラに該当すると考えられる例/該当しないと考えられる例」の内容などの記述に現れています。しかし、これは根本的に間違っています。
そもそも、今回の指針は、民法上の不法行為とされないレベルのパワハラも対象として、その防止を図るものです(このことは、労政審分科会でも確認されています)。裁判例に基づいて検討された事例をそのまま指針に盛り込むことは、この指針の目的と合致せず、指針の対象となるパワハラの範囲を不当に狭めるものです。
また、労働安全衛生の分野においてはこれまで、労働者の健康と安全を守るために様々な指針が作られてきましたが、指針の対象を「企業が民事損害賠償義務を負う場合」に限定した指針などあり得ないことです。
例えば、職場での腰痛事案は、その発生数が非常に多い一方で、仕事との因果関係が必ずしもはっきりしない事案も多く、ましてや民事損害賠償が命じられた判例は近年ほとんどありません。しかし、2013年に厚労省が改訂した『職場における腰痛予防対策指針及び解説』では、腰痛の原因は多元的であると指摘しつつ、職場における腰痛発症要因を包括的に分析し、広範囲にわたる予防対策を企業に示しています。当然のことながら、この指針では、企業が予防対策を取るべき腰痛について「企業が民事損害賠償義務を負う場合」に限定していませんし、「職場における腰痛に該当しない事例」など一切書かれていません。
労働安全衛生に関する指針は、その対象とする問題を広範かつ包括的に規定しなければ、労働者の安全と健康を守るための予防指針としてまったく実効性を保てません。「企業が民事損害賠償義務を負う場合」に限定されてはならないのです。
今回の指針素案は、他の労働安全衛生分野の指針の原則から大きく逸脱し、企業に防止対策を求めるパワハラの対象を不当に限定するものであり、職場におけるパワハラ防止対策の大幅な後退をもたらしかねません。指針全体について、抜本的な再検討が必要です。
※参考: 職場における腰痛予防対策指針及び解説(厚生労働省)
2、「パワハラに該当すると考えられる例/該当しないと考えられる例」は、現場の実態を無視しています。削除すべきです。
指針素案に書かれている「パワハラに該当すると考えられる例/該当しないと考えられる例」は、上記で述べたように、企業が民事損害賠償義務を負う場合に限定しようとしており、極めて不当です。と同時に、その多くが抽象的な定義のため、労働現場で拡大解釈され、パワハラの正当化に使われる恐れがあります。さらに、「該当しないと考えられる例」の中には、これまでパワハラとして問題になってきた事例すら含まれています。
以下、問題のある事例をいくつか列挙します。なお、これらは、問題の一部の指摘に過ぎず、今回挙げられている事例全体で極めて不適切な記述が多数みられます。指針素案に書かれている事例すべて抜本的な再検討が必要であり、少なくとも「該当しないと考えられる例」はすべて削除すべきです。
・「該当すると考えられる例」について
- 「身体的な攻撃」の事例として、「怪我をしかねない物を投げつけること」とあります。しかし、「怪我をしかねない物」でなければ、物を投げつけてもパワハラに該当しないのでしょうか。
- 「精神的な攻撃」の事例として、「相手の能力を否定し、罵倒するような内容の電子メール等を当該相手を含む複数の労働者宛てに送信すること」とあります。しかし、相手の能力を否定し罵倒するようなメールを「複数の労働者宛て」でなければ、当該相手に送ってもパワハラに該当しないのでしょうか。
・「該当しないと考えられる例」について
- 「身体的な攻撃」に該当しない事案として、「誤ってぶつかる、物をぶつけてしまう等により怪我をさせること」とあります。
しかし、何を根拠に「誤って」と判断するのでしょうか。パワハラの加害側が「故意ではない」と主張してパワハラを否定するという事案は、現場でしばしばみられることです。このような抽象的な例示では、そうした加害側の言い訳を正当化することになります。
- 「人間関係からの切り離し」に該当しない事案として、「新規に採用した労働者を育成するために短期間集中的に個室で研修等の教育を実施すること」「処分を受けた労働者に対し、通常の業務に復帰させる前に、個室で必要な研修を受けさせること」とあります。
しかし、現場の実態に照らすと、新人研修や処分に伴う研修、「個室」のような閉鎖的空間での研修などは、すべてパワハラの温床になってきました。このような漠然とした範囲で「該当しない」と書くのは、パワハラの防止どころかパワハラの正当化・助長に他なりません。
- 「過小な要求」に該当しない事案として、「経営上の理由により、一時的に、能力に見合わない簡易な業務に就かせること」とあります。
しかし、これは、「追い出し部屋」や「業務外し」など、これまでパワハラで使われてきた手法の正当化に使われかねません。実際のケースで使用者側はしばしば、「経営上の理由」を挙げてパワハラを正当化してきました。このような例示を入れることは、企業側の組織的なパワハラを助長することになります。
- 「個の侵害」に該当しない事案として、「労働者への配慮を目的として、労働者の家族の状況等についてヒアリングを行うこと」とあります。しかし、「労働者への配慮」の内容が不明確です。これでは、「個の侵害」の正当化に使われる危険があります。
同様に、「労働者の了解を得て、当該労働者の性的指向・性自認や病歴、不妊治療等の機微な個人情報について、必要な範囲で人事労務部門の担当者に伝達し、配慮を促すこと」という事例も、労働者の同意をどのように取るのかについて言及がなく、「必要な範囲」についても、その内容が不明です。これでは、「個の侵害」の正当化に使われる危険があります。
3、「パワハラと感じる労働者の意識が悪い」という、パワハラを助長させる記述は削除すべき。
まず、指針素案の4および5の箇所で、厚労省が2016年に改訂した「パワーハラスメント対策導入マニュアル(第二版)」について一言も言及していません。厚労省がこれまで進めてきたパワハラ防止対策の包括的なマニュアルであり、指針素案の中で一言も紹介していないのは不自然です。
また、雇用管理上講ずべき指針と銘打ちながら、望ましい取り組み(指針素案の5)の部分はあまりにも杜撰です。先に挙げた『職場における腰痛予防対策指針及び解説』などの既存の労働安全衛生の指針に沿って考えるならば、指針素案のP12にある「5 ロ 適正な業務目標の設定等の職場環境の改善のための取組」で触れられている業務量や目標設定の問題について、より詳しく分析して労働現場の好事例を紹介するなど、記載を充実化すべきです。
さらに、特に問題なのは、指針素案のP11で、パワーハラスメントの原因や背景として筆頭に労働者のコミュニケーション能力の問題に言及しつつ、「なお、取組を行うに当たっては、…(中略)…業務上必要かつ相当な範囲で行われる適正な業務指示や指導については、職場におけるパワーハラスメントには該当せず、労働者が、こうした適正な業務指示や指導を踏まえて真摯に業務を遂行する意識を持つことも重要であることに留意する」と書いていることです。
もしコミュニケーション能力不足がパワハラの原因の一つであるとしても、労働者の業務遂行意識とコミュニケーション能力不足に、いったい何の関係があるのでしょうか。業務指示や指導を適切に行わないのは、むしろ経営者や管理職のマネジメント能力の問題です。適正な業務指示や指導を理解しない労働者の意識が悪いと言わんばかりの、この文章自体が、すでにパワハラそのものです。
指針素案P11のこの記載は、労働者がパワハラを相談することを委縮させるものであり、「パワハラを訴える労働者は、真摯に業務を遂行する意思が欠けている」と事業主をミスリードさせるものです。この文言は削除すべきです。
※参考: パワーハラスメント対策導入マニュアル(第2版、厚生労働省)